第一章 取り残された場所
八王子南口駅前の雑踏を抜けて、俺は慣れた道を歩いていた。この道は何百回、いや何千回と歩いてきただろう。家族が待つ家へと続く道。友達と笑いながら帰った道。でも、今日は違う。
スマートフォンの画面には、グループチャットの既読マークだけが並んでいた。
「来月から東京で働くことになった」 「俺も内定もらった。大阪だけど」 「私は地元に残るけど、実家の店を手伝うから忙しくなりそう」
みんな、それぞれの場所へ向かって歩き出していた。
俺の手のひらには、何もなかった。就職活動は思うようにいかず、やりたいことも見つからないまま、気づけば一人取り残されていた。
部屋に帰ると、本棚の奥から古いアルバムを引っ張り出した。ホコリまみれの表紙を開くと、高校時代の写真が並んでいる。河川敷でギターを弾いている拓也。笑顔でピースサインをしている美咲。カメラを避けるように顔を隠している健太。そして、何も考えずに笑っている俺。
「あの頃は良かったな」
思わず呟いた。未来のことなんて何も考えず、ただ今を楽しんでいた。でも、逃げちゃいけない。そう頭ではわかっている。
夜が明ければまた朝が来る。このまま夜を待つように、時間が過ぎるのを待っているだけでは何も変わらない。
第二章 迷いの中で
「本当にこれでいいのか」
コンビニのバイトから帰る道、俺は自分に問いかけていた。
今やっていることは、本当に自分がやりたいことなのか。自分に向いていることなのか。面接で何度も聞かれた質問が、今度は自分自身を縛り付けていた。
立ち止まって、後ろを振り返る。前に進もうとしては、また戻ってしまう。胸の中の迷いと葛藤が、複雑に絡み合って、前に進む勇気を奪っていく。
「おい、久しぶり!」
声をかけられて振り返ると、拓也が立っていた。
「拓也、東京行くんじゃなかったのか?」
「ああ、来月からな。今日は実家に帰ってきてたんだ。お前、元気そうじゃないな」
俺は言葉に詰まった。元気なフリをする気力もなかった。
「河川敷、行くか? 久しぶりに」
拓也の提案に、俺は頷いた。
第三章 河川敷の記憶
夕暮れの河川敷は、記憶の中と変わらない風景が広がっていた。
「ここで、みんなでよく集まったよな」と拓也が言った。
「ああ。バカみたいなことばっかりやってたな」
「お前、覚えてるか? 高校三年の夏、ここで俺たちが作った歌」
覚えている。みんなで歌詞を考えて、拓也がギターで適当にメロディをつけた。未来なんて見えなかったけど、それでも何かを掴めると信じていた。ちっぽけな自分たちを笑いながら、それでも諦めないって歌った。
「なあ、お前は東京で何をするんだ?」俺は聞いた。
「正直、わかんねえよ。広告代理店に入るけど、そこで何ができるかなんて。でも、やってみないとわからないだろ?」
拓也は河川敷の石を拾って、川に投げた。
「お前、怖くないのか? 未来が見えないの」
「怖いよ。めちゃくちゃ怖い。期待されるのも怖い。失敗するのも怖い」
拓也は笑った。
「でも、怖がってるだけじゃ何も始まらないだろ。泣き虫なら泣き虫らしく、涙流しながらでも前に進むしかないんじゃないか?」
第四章 小さな勇気
その夜、俺は久しぶりにパソコンを開いた。
ブックマークに入れたままだった求人サイト。何度も見ては閉じていたページ。でも今日は違った。
「これでいいのかな」という気持ちは、まだ胸に引っかかっていた。でも、引っかかっているなら変えていくしかない。一歩ずつでいい。前に進むしかない。
履歴書を書き始めた。志望動機の欄で手が止まる。何を書けばいいのか、まだよくわからない。でも、正直に書くことにした。
「私はまだちっぽけで、手のひらの中には何もありません。でも、雨に打たれても風に吹かれても、諦めたくありません」
カッコ悪い。でも、これが今の俺だった。
第五章 それぞれの道
三ヶ月後。
俺は地元の小さな印刷会社で働き始めていた。大企業でもなく、華やかな仕事でもない。でも、デザインという自分が少しだけ興味を持てる分野だった。
拓也は東京で忙しくしているらしい。グループチャットには時々、疲れた様子のメッセージが届く。
美咲は相変わらず地元で、家族の店を手伝いながら、週末にはSNSに楽しそうな写真を上げている。
健太は大阪で、エンジニアとして働いているという。
みんな、それぞれの場所で、それぞれの雨に打たれ、風に吹かれながら、前に進んでいる。
仕事は簡単じゃなかった。失敗もたくさんした。先輩に怒られることもあった。それでも、少しずつ、本当に少しずつだけど、何かが見えてきた気がした。
第六章 再会の約束
年末、みんなが地元に帰ってきた。
「久しぶり! 河川敷集合な!」
拓也からのメッセージに、みんなが「了解」と返信する。
冬の河川敷は寒かったけど、四人揃うと不思議と温かかった。
「みんな、元気そうじゃん」と美咲が言った。
「見た目だけな」と健太が苦笑する。
「でも、まあ、生きてるよな、俺ら」拓也がギターを取り出した。
「おい、まさか」
「覚えてるだろ? あの歌」
拓也がコードを弾き始める。高校の時と同じ、あの不完全で、でも俺たちらしい歌。
みんなで歌った。
手をつないで、肩を組んで、笑いながら歌った。声は風に散っていったけど、確かにそこに響いていた。
終章 掴むもの
一年が過ぎた。
俺の手のひらの中には、まだ大したものはない。でも、空っぽじゃなくなった。
小さな実績。少しの自信。恥ずかしいくらいに大きな希望。そして、情けないほど小さいけど、確かにある勇気。
「本当にこれでいいのか」という問いは、今でも時々浮かぶ。でも、立ち止まる時間は短くなった。迷いながらでも、前に進めるようになった。
グループチャットに写真が届いた。拓也が撮った東京の夜景。美咲が作ったという新しいメニュー。健太のオフィスからの景色。
俺も写真を送る。今日完成した、初めて一人で任されたデザイン。大したものじゃない。でも、自分の作ったものだ。
「いいじゃん!」 「すごい!」 「成長したな」
メッセージが並ぶ。
「また河川敷で集まろうぜ」と拓也。
「今度はいつ?」と健太。
「春がいい」と美咲。
「じゃあ、春に」俺も返信する。
窓の外では雨が降り始めていた。でも、もう怖くなかった。雨に打たれても、風に吹かれても、俺たちは前に進んでいける。
ちっぽけなまま、何もわからないまま、それでも。
きっと、いつか、何かを掴むから。
ねぇ、そうだろ?
画面の向こうの三人に、心の中で問いかける。
そして、自分自身にも。
ちっぽけな勇気(2007)/FUNKY MONKEY BABYS


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